recollection’s blog

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サンカの真実三角寛の虚構

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サンカの真実 三角寛の虚構 (文春新書)


サンカ研究において、もっともよく知られ、そして、その影響も大きい三角寛
その主張がいかに創作と虚構にあふれているかを書いた本。


三角寛の資料に対してその信憑性が無いかを、実際に足で集めたフィールドワークによって証明していく。かつてサンカとしてミツクリの仕事についていた人間のもとを訪ね、当時の話を聞き、日付やその日時に三角寛が何をしていたのかと比べて、その矛盾を示す。


サンカの真実、と書いているけれども、その内容の1/2が、三角寛の論文のでたらめを検証する部分、のこりの1/4が、三角寛の生い立ちから、サンカ小説家として名を上げるまでの部分となっている。サンカの生活やその暮らしに対して描かれるのは全体の1/4くらい。


三角寛の半生についての話なのだが、どのような人生を送ってきて、そしてその結果、自らを虚飾し、虚構を話すような人間になったかを話している。作者自身も「人格攻撃のようになってしまうが」と書いているとおり、人の論文のでたらめさを証明するのに、その人間の生い立ちを描いて攻撃するのはルール違反だろう。


しかし、三角寛のおいたち、大分の山間の小さな村で私生児として育ち、寺へ預けられ論語を習い、出奔し、戦争に行き、朝日新聞社へ入り、小説家となって退職し、その後、サンカの人間と付き合い、事業をなし、とその人生を見ると、多分に魅力的な人間で会ったことが分かる。善人や誠意ある人間ではないが、エネルギーに満ち溢れ、人を引き付けてやまない人物であったのだろうと思う。証言者の話を聞いていると、悪くいうものもよく言うものも、人の善悪以上の何かを三角寛に持っているようだった。


以上のような本なので、サンカについての記述は少ない。
以下、サンカについての記述。

  • 山の民、というようなものではなく、無籍で非定住で、村々を回り箕をつくったり、箕を直したりして生活をしていたらしい。
  • サンカ、にあたる職能集団はいたが、その名前は様々だった。また、全国的な組織などなく、秘密結社のようなものではなかった。サンカという言葉は関西の一部で使われていたにすぎないらしい。どのような呼び名も、賤称の響きがあった。
    • テンバ、テンバモン、(箕を作りなおす職能集団だったことによる)ミナオシ、ミツクリ、ミーヤ、ミーブチ、セイシ、ポン、ポンス、ノアイ、ナデシ、オゲ、オゲタ、ケンシ、ケンタ、サンカ、サンカベート、ミツクイドン、ミソソクリ、など。
    • サンカ、という名前は、11世紀に坂の者(発音はサカンモン)と呼ばれていたのが、16世紀ごろサカンモンから転訛してサンカモン、モンが消えてサンカになったという説が有力。
  • サンカは、ウメアイ(ウメガイ)という諸刃の小ぶりのナイフを特別なものとしていて、よそのものに決して見せない。筆者が一回うっかりそこらへんに置いてあるのをみたが、後できくと、「そんなものは知らない」と強く否定された。
  • サンカの類型
    • 箕作り系のサンカ
    • 高細工系のサンカ
    • 棕櫚箒系のサンカ
    • 川魚漁系のサンカ
      • に分けられるが、あくまで便宜上で、いくつかを兼ねている場合もあった。ほか
    • 筬掻き系のサンカ
      • もいた、これは、機織りに使う筬という櫛のような部品を製造修理するサンカ
  • サンカの仮の住居(セブリ)は、12畳ほどのぼろ布(天幕、テンブリ)を合わせた布を、木で組んだ支柱にかぶせたもの
  • サンカも定住していき今ではほとんどいない
    • 村に入る際、よそ者は、池番、山番、堰番として、その近くに小屋を構えて住むようになる。それでも、村では矢張り賤しいよそ者扱いは続いていく
    • または全然知らない遠いところへ行くか

他、ちゃんとしている資料についてのメモ

柳田国男 「イタカ」及び「サンカ」 明治45
喜田貞吉 サンカ者名義考 大正9
後藤興善 又鬼(マタギ)と山窩 昭和15
宮本常一 山に生きる人びと 昭和39
滝川政次郎 遊女の歴史 昭和40
荒井貢次郎 幻像の山窩 昭和44
沖浦和光 幻の漂泊民・サンカ 平成13