recollection’s blog

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魔法少女まどか☆マギカ感想

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魔法少女まどか☆マギカ コンプリート DVD-BOX (12話, 283分) まどマギ アニメ [DVD] [Import]


ヒノキオ [DVD]


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おおよそ世間一般の人や周囲観測2リンクの人達が名作だった!と言っているのでなんか言いづらかったんですが、自分的にとても不満の残るエンディングでした。

というのは、まあ、いくつか理由があるんですが、その前に、この間DVDでみた映画、HINOKIOの話をします。

 ヒノキオ(HINOKIO)は2005年に公開された映画で、舞台はちょっとだけ未来の日本、医療用のロボット技術が少しだけ進化していて、無線で動く二足歩行ロボットを使って不登校の子どもがリハビリ登校したりとかしているような世界。(ただ、何故音声入力はキーボード)

主人公のマサルは、1年前事故で母親を亡くし、自分もその事故の後遺症で歩けなくなって家でひきこもり状態。父親はその二足ロボットの開発者で、でも、家では全然会話すらない、部屋に引きこもってるし、父親は、マサルにどう接していいのかわからなくって誕生日にも返ってこない。「あれくらいの年齢の子どもは父親とはあんまり接したくないものだ」といって。

 マサルはそのロボットを使って学校にあたらしい転校、投稿するが、そこでロボットだからということでいじめにあう、でも、なんか色々あってそのリーダーのジュンと仲良くなる。(※この、なんか色々あって仲良くなる、部分がこの映画の肝、というか一番良いところ。ドラッグストアからダンボール箱ごとよっちゃんイカをアビったりする。予告編でも流れてる防波堤の上を4人で歩いたり、新入りにランドセル持たせたり、秘密基地にテレビ持ち込んだりとかそういうの。カメラの目線が、ずっと子どもですごい丁寧な作りをしているのが分かる)

で、マサルが好きな女子(堀北真希)がジュンにばれたりしてからかわれたりとか。いい話だ。

 それで、魚釣りをしているある日、ジュンが実は女だっていう事が分かってしまう。そして、ジュンが実は親戚中たらいまわしにされて、そこで性的虐待にあってそれからずっと男の格好をしてることも、なんとなく分かって。

 で、まあ、ここらへんから話が動き出して行くわけですが、(堀北真希もちゃんとお話しに絡むよ!)ガジェットや細かい部分が非常に丁寧。

 この後、ロボットの感覚(触ったり、触られたりの感覚)をフィードバックさせる機能をインストールして、人⇔人間の1次的接触について、なんか体感するシーンが入ったり、ジュンが(ヒノキオじゃなくて本当の)マサルに会ってみたい、って言われて、自分の動かない足とかそういうのをみて、拒否するシーンや、結局、ヒノキオがクラスで受け入れられている訳ではないっていうリアル。(本当にジュン以外には××な感じとか)

 とにかく、全体の2/3くらいまでは本当にすごい丁寧で、ちゃんと子どもたちの話をしていて、SFで(この場合のSFとは特異な技術なり概念なりが持ち込まれてそれによって世界の定義自身が揺らぎ、またその揺らぎ自身がテーマとなる事)ああ、このまま、この子どもたちが、子どもたちなりに頑張って、答えを出して、成長するんだろうなあ。HINOKIOは要らなくなるんだろうなあ。そういう物語なんだろうなあ。って思って見てたら。見てたらですよ。

本当にこの後、前半に広げた丁寧で良い雰囲気や問題定義をぶち壊しにするような展開が。懐石料理の占めにカップラーメンが出てくるような暴力。

ヒノキオ、両親との確執で電車ダイブ→マサル、リンクしているので意識不明う→いきなり話がその世界で流行ってるネットゲームの話に。ゲームの中で願い事をすると現実世界で叶うんだ!ちなみに現実世界とネトゲーの世界ってリンクしてて、その願い事をするゲーム内の場所は現実世界のオバケ煙突となんだぜ!→よし!オバケ煙突にのぼってマサルを助けてって言おう!(何故?)→その頃、マサルは何故かゲームの世界に入ってそこで母親と再会、エヴァンゲリオン劇場版ってました(何故?)異世界で母親と話したら父親との確執が昇華されました。(ひどい)→オバケ煙突の上で笛を吹いたらマサルが生き返った!(ひどい)→エンディング。電車で旅立つジュンをヒノキオの背中にのって追いかけるマサル。ちなみにヒノキオを運転してるのは、父親です。(ひどい)

もう、ひどい。ひどいわ……。

 何が酷いかっていうと、子どもたちが、子どもたちで、無力なりに、どうしようもない現実を相手に、でも、友情とか同情とか、同情されたくない友達でいたいとか、友達だろ!とか友達だから対等な関係でいたいとか、でもお互いになんか、どうしようもなく欠けた部分を持っていて、だからそこには触れられたくないと思っているけど、相手のその部分をみて自分も安心したいような歪んだ気持ちには自分自身も気づいていないし相手も気づいていないし、それに気づかないまま終わる事もあるけど、まあなんか。そして、大人への確執って、子どもが「大人もただの人間なんだ」って気付く事でしか消えなくって、でも、それに気づくには友達の力が必要で、そういう伏線とか、そういうガジェットの配置とか丁寧にしてたのに、終盤でそれを全部台無しにする、「ゲームの世界の観念的なドラゴンボールデウスエクスマキナで全部解決」ですよ。なめてんのか。


まあ、これがぼくのhinokioの感想なんですが。魔法少女まどか☆マギカにも似たような感想を抱いたのですよ。


9話まで、淡々と描いた、世界の残酷なルールと10話で描いたリセット厨ほむほむ。

祈りや願いがその分呪いとなって帰ってくる世界。祈れば祈るほど、願えば願うほど、その分世界を呪わずにはいられない。でも、それってまどか☆マギカの世界だけじゃなくってこっちの現実世界でも同じだよね。比喩比喩メタファーアイロニー

で、やっぱり女の子は、その世界で魔女になったり、魔法少女のまま、残酷に死んでいく。それが嫌で何度も同じ事を繰り返すほむほむの行動。彼女の行動はこの世界のルールのやや外側にいて、だからどんどん因果(業)が大きくなっていく。やってはいけない事だから、どんどん業が溜まる。san値。

で、まあ、そういう進むも戻るも出来ない地獄に落ちたほむほむ。と、魔法少女世界と、まどか。至る結末はいくつか(ほむほむと一緒にタイムループの地獄に落ちる、ほむほむも魔女になって魔法少女まどかが倒す、まどかが魔法少女にならずにほむほむは魔女になって世界を呪いながら生きていく)あるけど、どれをとっても地獄だし、でも、進まないといけない。そしてそれ以外の選択肢は多分ない。今まで描かれてきた9話までの話は、選択肢は残酷なものしかない、でも、それを選ぶしかないし選ばない訳にはいかない。っていう「この世界」の物語だったはずだ。

で、最終回。提示された案が、ゲーム自身が難しかったらゲームの難易度さげちゃえばいいんだよ!

「え?」

ゲームリセット厨のほむほむにゲーム改造厨のまどかがそっと「ゲームデータ書き変え機」を渡すの図。

ミステリ小説で、今まで毒殺ではないって言い続けてきたのに、最後の3行で「実は今まで発見されていない毒物で殺されたのです!!」と良いはるような展開。

これだったら舞HIMEのちゃぶ台返しの方がよっぽど良かったよ!!!

確かにいい出来だし、良いアニメだとは思う。

でもどうなんだこれ。


HINOKIOでは、前半で、こどもたちが悩んだり、苦しんだりしたことが、後半の超展開で全部無駄にされてしまった。

同じように、まどか☆マギカでも、あれだけ頑張ってなんとかしようって苦しんだ事が、まどかの「世界のルールを変えたから大丈夫だよ」っていうのでなんかこう、子どもの喧嘩に親が出てきたというか、弥勒信仰と言うか、あれだけ苦しんだり、悩んだりしたことが無価値にされてしまったみたいな印象を受ける。



苦しんだり、悩んだりした事を糧にして、明らかに不当な対価を要求されながら、それでも、それだけ支払って、やっと1歩すすめる。

そういう話をぼくは見たかったですよ。





追記:

ほぼ同じEDになるにしても

まどかの願いが「ほむらちゃんの願いをもう一つだけ叶えて揚げて」

ほむら「誰も魔女にならない世界を」

で二人で世界一周、

だったら印象変わったのかも。

ほむほむは作中で十分過ぎる対価を既に支払ってるからにゃあ。作中でまどかってただ逃げ回ってただけな印象しかないので。ううむ。