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recollection’s blog

書籍、漫画、アニメ、評論、映画、その他コンテンツの感想、評論、あらすじ、要点纏めを書いていきます。ネタバレもあるので注意

カブールノート戦争しかしらない子供たち/実際のタリバンってそんなに悪い奴じゃないよの巻

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カブール・ノート 戦争しか知らない子どもたち

カブール・ノート 戦争しか知らない子どもたち

2001年ごろのアフガンで、国連職員として働いていた人のレポート。悪の枢軸扱いのタリバンですが、実際はタリバンのおかげでアフガンの治安が守られていて地元の国民からはちゃんとした英雄扱いだったいう事実がここには書かれてます。あと、オサマビンラディンがトンネル掘るの得意だったとか、ゲバラ並みに働いてカリスマがあってすごいやつだったとかそんな感じのことが。


 オサマには他の多くの義勇兵と違っているところが一つあった。それは彼が自前の資金を持ってやってきたということである。当初、オサマは彼の一族の企業を使って、聖戦士のためにアフガニスタンに新道を建設することを申し出た。ソ連のヘリコプターに攻撃されるのを恐がって誰もブルドーザーに乗って作業をしようとしない時、オサマは自分でブルドーザーに乗り込み作業をした。山腹を水平に掘ってトンネルを造り、武器庫を確保し、道路を造り兵粘ラインを整備していった。そうやって造られた道や武器庫が今も残っているのだ。

 オサマは聖戦で少なくとも二回負傷した。一九八七年にオサマが関わった戦闘に関するエピソードが残っている。パクティア県南部で、ソ連軍に兵士の数でも武器の質でも圧倒され、彼と彼の部下は絶対勝ち目のない状況に追い込まれた。しかしオサマは、恐れ知らずにも逃げることを選ばず、この戦いに勝利した。今でもテレビのインタビューや写真で見ることができるが、彼は常に自分の横にAK・47カラシニコフを立てかけている。これは、この戦闘で倒れたソ連の大将から奪ったものだ。この戦闘の後、オサマはますます恐れ知らずになったという。彼は死ぬまで戦い、名誉をもって死ぬことを望んでいるのだという。

 聖戦の後半、パキスタンの情報機関ISIのヘッドであったハミド・グル少将は、オサマのことを、「人に強い印象を残す人物で、容貌がよく、背が高く、やせていて、黒い大きな瞳が輝いていた0とてもソフトな話し方であった」と語っている。すでに聖戦時、オサマは軍事的な役割を超え、カリスマ的な地位を獲得していたのだ。聖戦が終わって六年後の一九九五年、スーダンにいたオサマをハミド・グル少将は再び訪ねている。彼はオサマの賛美者でありつづけたのだ。「彼は抵抗のシンボルであり、イスラム教徒全体のヒーローである」と彼は言う。

 オサマはサソリとネズミのはびこるような湿気た洞窟にあっても、規律正しい生活を維持していた。夜明け前に祈りのために必ず起き、デーツ(乾燥ナツメヤシ)とパンだけの質素な朝食を食べ、毎日、マーシャル・アーツの訓練を欠かさなかった。それでも、昼も夜も贅沢を避け、油の少ない質素な食事で済ませていた。

 約10年にわたり、オサマはソ連を相手にアフガニスタンでアラブ義勇軍の指導者として聖戦を戦った。そしてサウジアラビアに帰った彼は賞賛と寄付金のシャワーを浴び、あちらこちらのモスクで演説をしてほしいという招待を受けた。彼の演説のカセットテープは発売されると同時に売り切れた。このカセットテープは二五万本以上売れたと言われる。このテープは現在、発禁処分になっているが、これに含まれた演説で彼は、アメリカ外交を痛烈に批判し、アメリカ商品のボイコットを呼びかけている。

超人か!!オサマかっこいい。

だからアフガンではオサマという名前が大人気で、子供につける名前第1位になっていたという。

実際に中に入って見てみないとどうなってるかはわからないという話。イスラムの風習だって、戦争でこんなことになる前までは女性のためにつくられてうまく男女幸せになるようになってたのに、資本主義と戦乱とでぐちゃぐちゃになってしまっていった状態とかが描かれていてなんともなあって思う。

文化とか文明ってなんなんだろうね。